Henry Nam

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5・18はいかにして東アジアの民主主義の記憶となったのか

Memory

5・18はいかにして東アジアの民主主義の記憶となったのか

光州からソウルへ、そして香港の街路へと続いた市民の時間 🇬🇧 🇰🇷 5月18日は、韓国現代史において最も痛ましい日付の一つである。 しかしそれは、単なる悲劇の日付ではない。1980年5月の光州は、軍部の暴力の凄惨さを示した都市であると同時に、市民が自ら共同体を守ろうとした都市でもあった。そこで人々は、単に政権に抵抗したのではない。暴力を前にしても、人間の尊厳と市民としての誇りを手放すまいとしたのである。 5・18光州民主化運動は、1980年5月18日から27日まで光州で起きた、軍事政権に対する市民たちの民主抗争だった。ユネスコは5・18関連記録物を「世界の記憶」に登録し、それらの記録が市民の抵抗、鎮圧、そしてその後の真相究明と補償要求の過程を含んでいると説明している。またユネスコは、5・18が韓国の民主化に重要な役割を果たしただけでなく、東アジアの他の国々にも影響を与えたと評価している。 光州は長いあいだ、孤立した都市だった。当時の国家権力は、光州を暴徒と混乱の都市として描こうとした。メディアは統制され、市民の声は歪められた。しかし時間が経つにつれて、光州は韓国の民主

By Henry Nam
景福宮はいつも朝鮮の中心だったのか

Memory

景福宮はいつも朝鮮の中心だったのか

焼け落ち、空白となり、再び建てられた宮殿の記憶 🇬🇧 🇰🇷 景福宮は、あまりにも身近であるがゆえに、かえってよく知られていない場所である。 ソウルを代表する宮殿。光化門の背後に広がる朝鮮王朝の象徴。観光客が最初に訪れる歴史空間。私たちは景福宮を、ごく自然に朝鮮王朝の中心となる宮殿として思い浮かべる。その名の通り、朝鮮の法宮、すなわち王朝の正宮であり、王朝の顔であり、ソウルの真ん中に置かれた古い権力の舞台だと考える。 間違いではない。景福宮は、朝鮮建国後、太祖・李成桂が漢陽に都を置き、そこに建てた宮殿だった。朝鮮王朝の理念と秩序が初めて空間として形を取った場所であり、光化門、勤政殿、慶会楼、思政殿といった建築物は、王権と国家の権威を視覚的に示す装置だった。 しかし、景福宮の実際の歴史は、私たちが漠然と思い描くものよりはるかに複雑である。 景福宮は、いつも朝鮮の中心だった宮殿ではなかった。むしろ長いあいだ、焼け落ち、放置され、ほかの宮殿にその地位を譲り、再び建てられ、さらに損なわれてきた宮殿だった。今日私たちが目にする景福宮は、「途切れることなく続いてきた朝鮮の中心」と

By Henry Nam
ソウルは過去をどのように照らすのか

Places

ソウルは過去をどのように照らすのか

景福宮の夜に出会った、現在形の伝統 夜の景福宮は、昼の景福宮とは違う。 昼の宮殿が歴史的建造物として見えるのだとすれば、夜の宮殿は一つの場面に近い。闇が都市の騒音を少し遠ざけ、照明が屋根の曲線と軒下の影をゆっくりと浮かび上がらせる。昼間にははっきりと見えていた石畳や塀、門や殿閣は、夜になると少し非現実的な風景になる。光化門はもはや単なる出入口ではなく、闇の中に浮かび上がる舞台の正面のように見える。 景福宮の夜間観覧を訪れながら、私はソウルが過去を扱う方法について考えた。ソウルは速く変わる都市だ。古い建物は取り壊され、古い路地は再開発され、街の記憶はしばしば新しいマンションや商圏の言葉の下に埋もれていく。けれども同時に、ソウルはある過去を非常に積極的に呼び戻す。宮殿は光をまとい、人々は韓服を着て、観光客はカメラを手にし、過去は都市の夜の中で再び一つの体験になる。 この光景は興味深い。ソウルは一方で過去を消す都市であり、もう一方で過去を美しく照らす都市でもある。 景福宮の夜は、その矛盾をよく見せている。宮殿は朝鮮王朝の権力空間だった。王が暮らし、儀礼が行われ、国家の秩序が視覚的に

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日本の万年筆の静かな知性

Objects

日本の万年筆の静かな知性

銀座・伊東屋の陳列棚の前で考えた、書く道具とゆっくり流れる時間について 銀座・伊東屋の万年筆の陳列棚の前に立つと、時間が少しだけゆっくり流れるような気がする。 ガラスの下には、何十本ものペンが整然と並んでいる。黒、銀、金、深い緑、大理石のような模様、透明な胴軸、古いパイプを思わせる茶色の軸。木の陳列台と照明は、それらの小さな道具をまるで展示品のように見せている。そのペンたちは、ただ販売されるのを待っている商品には見えない。むしろ、まだ書かれていない文章を秘めた小さな物たちのように見える。 ある人にとって、万年筆は高価で時代遅れの文房具に見えるかもしれない。私たちはすでに、ノートパソコンとスマートフォンで十分に速く書き、消し、コピーし、送信している。手で文字を書くことは、少しずつ遅く、手間のかかる行為になってきた。それでも万年筆の陳列棚の前で、思わず長く足を止めてしまう理由がある。万年筆は単に文字を書く道具ではなく、書く人にある種の態度を求める物だからだ。 私は万年筆が好きだ。集めることも好きだし、実際に使うことも好きだ。万年筆を手に取ると、ほかの筆記具とは違う時間が始まる。ペン

By Henry Nam
ソウル、絶えず自らを書き換える都市

Places

ソウル、絶えず自らを書き換える都市

再開発、記憶、資本、そして急速に変わり続ける都市の顔について ソウルは、じっとしていない都市だ。 都市は本来、変わるものである。建物は古び、人は去り、新しい道が生まれ、古い店は扉を閉じる。けれどもソウルの変化は、単なる自然な変化というより、ときに強迫観念にも似た速度として感じられる。この都市は絶えず自らを書き換え、消し、そして建て直す。昨日の路地は今日の工事現場になり、今日のマンションは明日の再建築の対象になる。 ソウルに長く暮らしてきた人なら、誰もがその感覚を知っている。数年ぶりに訪れた街で方向感覚を失うこと。記憶の中にあった店が消え、その場所にガラス張りのビルやフランチャイズのカフェが建っているのを見ること。かつて知っていた路地の空気、看板、匂い、音が、ある瞬間、まるごと変わってしまっていることに気づくこと。 私はアメリカの都市や日本の都市を訪れたとき、この違いをよく感じた。もちろん、ニューヨークも、ロサンゼルスも、東京も、京都も変わる。どの都市も、時間を完全に止めているわけではない。けれども二十年前、十年前に訪れたアメリカや日本の都市を思い返すと、その変化はおおむねゆっく

By Henry Nam

Letter

Littoral East を始めた理由

都市、本、暮らし、記憶を通して東アジアを読むための小さな始まり 私はずっと以前から、読むことと書くことが好きだった。 本、エッセイ、雑誌、新聞を読みながら、一つの考えをたどっていく時間が好きだった。読むという行為は、単なる趣味というより、世界の中で自分がどこに立っているのかを確かめる方法に近かった。書くことも同じだった。自分が見たもの、感じたこと、気になったことを、一つの秩序の中に置いてみる作業だった。 長いあいだ、私の関心はアメリカに向いていた。アメリカで学び、暮らした経験は、自然と私をアメリカの社会、政治、文化へと深く向かわせた。アメリカは、私の知的な習慣に大きな影響を与えた。より広く見ること、比較して考えること、そしてアイデアを真剣に扱う姿勢を教えてくれた。 けれども韓国に戻り、再びこの場所で暮らしているうちに、私をより強く引き寄せたのは、むしろ身近にある文化だった。韓国、日本、中国を含む、東アジアの文化世界だった。 知れば知るほど、この地域は奥が深かった。都市、文学、食、デザイン、映画、儀礼、物、歴史的記憶の中には、尽きることのない物語が隠れていた。

By Henry Nam
교토, 시간이 형태를 갖는 도시

Places

교토, 시간이 형태를 갖는 도시

걸으며 읽은 교토의 시간 🇬🇧 🇯🇵 교토는 걷는 속도로 가까워지는 도시다. 차창 밖으로 스쳐 지나갈 때보다, 골목과 강변과 언덕길을 천천히 지날 때 비로소 이 도시의 결이 보인다. 낮은 지붕의 선, 처마 아래의 어둠, 돌담 위에 낀 이끼, 오래된 가게의 간판, 그리고 문득 시야 끝에 들어오는 탑의 윤곽. 교토에서 시간은 멀리 있는 과거가

By Henry Nam
과거라는 피난처, 미래를 잃은 사회

Books

과거라는 피난처, 미래를 잃은 사회

게오르기 고스포디노프의 『타임 셸터』와 동아시아의 기억 정치 🇬🇧 🇯🇵 한 사회가 미래를 상상하지 못하게 될 때, 사람들은 어디로 향할까. 게오르기 고스포디노프의 소설 『타임 셸터』는 이 질문에 대해 기묘하고도 섬뜩한 대답을 내놓는다. 사람들은 앞으로 나아가는 대신, 뒤로 돌아가고 싶어 한다. 그것도 단순히 추억하는 정도가 아니라, 과거의 어느 시점으로 실제로 들어가 살고

By Henry Nam
5·18은 어떻게 동아시아의 민주주의 기억이 되었나

Memory

5·18은 어떻게 동아시아의 민주주의 기억이 되었나

광주에서 서울로, 그리고 홍콩의 거리로 이어진 시민의 시간 🇬🇧 🇯🇵 5월 18일은 한국 현대사에서 가장 아픈 날짜 중 하나다. 하지만 그것은 단지 비극의 날짜만은 아니다. 1980년 5월의 광주는 군부 폭력의 참혹함을 보여준 도시였고, 동시에 시민이 스스로 공동체를 지키려 했던 도시였다. 그곳에서 사람들은 단지 정권에 저항한 것이 아니라, 폭력 앞에서도 인간의 존엄과 시민의

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